夜の海は霊安室のように、ひんやりとしていて静かだった。
砂浜には200体のカカシが山積みにされ、それらとカカシ屋の少年と僕を
パンケーキみたいにまんまるい月が見ていた。いや、見てなんかいない。
ただ月の機能として平等に照らしていただけだ。
「始めましょうか、サトウさん。」と海を眺めながら少年は言った。
不本意ながらも僕は、せっせせっせと設置した。まとまったお金が必要だったのだ。
なぜならば僕の家は、家と呼ぶよりは小屋と呼んだほうが正しい代物だったし、
引き出しの中には、別れた妻から送られてくる養育費の請求書がもう何枚もたまっていた。
そろそろすべてを投げ出して、どこか遠くの新しい町で、新しい生活を始めるつもりだった。
「相応の報酬」と聞いたとき、これだと思った。この町からの逃走費用に充てるのだ。
少年の指示通りに、カカシを1m間隔で横一列に設置した。
言われたことを言われた通りにやるのは、僕の得意とするところだった。
「カカシを砂に突き刺す→帽子を剥ぎ取り、頭を木槌で何度も打つ→また帽子を被せてやる」
これを200回、ひたすら黙って繰り返した。深く打ち込むのだ。
1体設置するたびに、少年はカカシの前に立ち、目を閉じて何かぶつぶつ言っていた。
200体目を砂浜にめり込ませたとき、僕は力尽き、仰向けに倒れた。太陽が邪魔だった。
もう「へのへのもへじ」なんかうんざりだ、2度と見たくないと思った。
「おつかれさまです、サトウさん。助かりました、そしてあなたも助かったのです。」
少年は顔に笑顔を貼り付け、僕の顔を覗き込んだ。どうやら僕は助かったらしい。
それから2時間後、僕は飛行機の中でまどろんでいた。眠ることはできなかった。
報酬は沖縄のホテル・レモネードの305号室に用意してある。
現地のカカシ屋があなたをそこまで案内するので那覇空港のロビーで待つようにとのことだった。
昨日の深夜から、今日の昼間に至るまで、いくつの指示を受けてきただろう。
僕の意思なんてものは、とりかえしのつかないほど遠いところに行ってしまったような気もしたが、
そんなもの最初からないような気もした。まあ、どっちでもいい。
わからないことばかりだったが、ひとつだけわかっていたことがある。
僕はもう2度と、小屋みたいなあの家で、真夜中、冷蔵庫の前に立つことはないということだ。
それがうれしいことであるか、かなしいことであるかは、やはりわからなかった。
出来事に感情が追いつくのは、もっとずっと後のことだ。
(つづく)
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